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-壁- 日本家屋における壁の歴史

こんにちは、広報担当の大坪です。
先日自宅で、壁のクロスを爪でひっかいて剥いでしまいました。「あっっ!」と思った時にはすでに遅し(泣)そしてふと思いました。
「土壁だと爪に土が入るよなぁ、クロスで良かった」と。

そこで本日は、壁についての建築の歴史を書きたいと思います。どうぞお付き合いください。

壁の役割

壁は建物の周りを囲い外界と室内を隔て、また内部各室を区画する仕切りでもある構造物です。外壁は特に、音や熱・光、風雨・湿気、さらには人の視線や泥棒を遮るなど、人々の暮らしを守る大切な役目を果たしてくれます。

古来の外壁

日本の古来の建物に、「校倉造(あぜくらづくり)」と言う構法によって外壁がつくられていたものがあります。断面が三角形の横材を井桁に積み上げた建築様式で、日本最古のログハウスとでも言えるかもしれません。「校倉造」は東大寺の正倉院や唐招提寺の宝蔵・経蔵などが有名で、税徴収した食物や宝物を保管する倉庫として主に奈良~平安時代にかけて造られていました。
では倉庫ではなく人が居住する住居はどうでしょうか?

画像左:長野県上田市 中禅寺薬師堂 中部地方最古の建築と言われる。/校倉造のルーツ“板倉構法”の建造物
画像右:校倉造(あぜくらづくり)

古来より日本の住居には大きく2つの流れがあり、一つは“支配者層”(上流階級、貴族、武士など)の住居、もう一つは“農民・一般民衆”の住居です。
吉田兼好の“徒然草”にこんな一節があります。

「家の作りは夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑き比(ころ)わろき住居は、堪へ難き事なり。」

家を作るときには、夏の住みやすさを優先して作るのがよい。冬はどこでも住め、暑い家は耐えられない、
と言うのです。“支配者層”であれば、冬の寒さは温める事が可能な財力があったのでしょう。

そんなことですから“支配者層”貴族の住居は夏の暑さを避ける高床・開放的な造りで、壁はほとんど無く格子や御簾(みす)で間仕切りました。一方、民衆の住居は冬の寒さを防ぐことを重視し、土壁で覆い開口部は最小限でした。

しかしこの2つの流れは、桃山時代(室町時代終期)の茶室建築で接触・融合していく事となります。

画像左:御簾(みす)

画像右:鎌倉時代頃の塗師屋の住居(土壁)

出典:日本の旅

茶室建築

茶は平安時代に中国から渡来したと言われ、当初は貴族や僧侶の間で喫茶が愛好されていました。室町時代後半あたりから新興武士の間で利き茶ギャンブルが流行し、これが広い屋敷の中の連歌などが催される「会所」と呼ばれる場所で行われ、日本最初の茶室となったようです。
そして喫茶は堺の町衆へ広まり、都会にいながら田舎の風情を味わう「市中の山居」を目指す「草庵の茶」(侘び茶)が確立されました。その中で独自の閉鎖的茶室空間が創造されたのです。草案茶室に見られる文化はまさに日本文化の本性や日本人の精神性そのものに関わるものであり、その民衆の土壁手法を数寄屋の中に逆輸入したことで、日本壁の純粋な美しさといわれるデザインになっていきました。

画像左:国宝茶室・有楽苑 如庵/茶の湯の創世期に尾張の国が生んだ大茶匠、織田信長の実弟・織田有楽斎が建てた茶室。
画像右:草庵茶室の躙り口(にじりぐち)

左官と土壁

日本の土壁は古代からありましたが、飛鳥時代頃に「土工」「白土師」「灰工」といった職業が登場したと言われます。“高松塚古墳(7世紀末〜8世紀初頭に築造された円墳)”や“キトラ古墳(7~8世紀に作られ、皇族あるいは貴族の墓と推定されている)”に漆喰が用いられていることから、飛鳥時代にはすでに漆喰技術があったと考えられています。また左官(建物の壁や床、土塀などを、鏝(コテ)を使って塗り仕上げる技術・職種)の起源については、一説では縄文時代まで遡ると言われています。

「左官」の呼び名は、奈良時代、宮中の建築工事を司る木工寮(もくりょう:律令制において宮内省に属する機関で、造営および材木採集を掌り各職工を支配する役所)の属(さかん)に官位を与えたことに由来するそうです。

画像左:鏝(コテ)
画像右:漆喰の真壁

江戸時代以降の壁は、土壁、漆喰、板壁や石などが使われてきました。土を用いて、左官工事によってつくられる壁を総称して“土壁”と呼ばれますが、その中でも「土蔵造り」は日本建築における耐火構造のひとつで、木部の外側を土壁で覆い、白土または漆喰の上塗りをかけた非常に厚い大壁です。
桃山~江戸時代には土蔵だけでなく民家や寺院建築にも技法が広がりました。

画像左:土壁
画像右:世界遺産/国宝・二条城の古い土蔵

漆喰による壁は高価だったため、権力者や豪商・豪農などの富裕層しか利用できませんでした。漆喰と言えば“白鷺城”と呼ばれる姫路城が有名ですね。
米のりを入れていた高価な漆喰から、比較的安価な海藻のりを使った漆喰が江戸時代に登場し技法が確立、耐火性・耐久性に優れた漆喰塗りが普及し様ざまな壁や建物が作られるようになります。

また江戸時代の主な板壁は、板材を用いてお互いが少し重なるように張る構法です。板を横長に使って張り重ねる「横羽目(よこはめ)」と、縦長に並べる「縦羽目」があり(現代でも同様)、海沿いなど風の強い所では塗り壁は傷みやすいため、板壁が多用されていたそうです。

画像左:世界遺産/国宝・姫路城/白鷺城とも呼ばれ、白く美しく佇む

画像右:旧新発田藩足軽長屋の板壁

出典:歴史研究所

明治期以降

洋風建築が登場すると、レンガやコンクリートに左官工事でモルタルを塗って仕上げるようになりました。昭和が過ぎ高度経済成長期に入るとコンクリート造りの建築が一般的となり、内壁は綿壁や繊維壁の塗り壁仕上げが多かったため、多くの左官職人が必要とされるようになりました。浴室のタイル貼りなどでも活躍し始めます。

画像左:旧岩崎邸/岩崎彌太郎の長男で三菱第3代社長・久彌の本邸
画像右:左官職人の仕事

しかしその後、住宅様式の変化や建設工期の短縮化の流れから左官仕事は急速に減少していきます。職人の数も減り仕上げの技術も失われつつありましたが、近年では手仕事による仕上げの多様性や味わいを持つ左官仕上げの良さが再認識されてきています。

左官工事は人の手で仕上げる事と乾燥時間が必要な事で工期が長くなるデメリットはありますが、何とも言えないあの味わいは、文化の中に息づき継承されてきた技術でしか作り出せない美しさがあります。
内装にも外壁にも、左官の良さを取り入れてみてはいかがでしょうか?

最後に

主に外壁についての内容になりましたが、壁一つをとっても建築の歴史は奥が深いものですね。
日本だけでなく当然海外も、風土や生産物などの文化の中で育った技法で、その土地に合った建築物を建ててきたのです。日本建築の魅力をご自宅に、ぜひ取り入れてくださいね。

画像:長崎県島原市 湧水庭園四明荘

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